瓜二つなふたりの青年が、向かい合ってティーカップを傾けていた。
月光に似た光沢の銀髪、夜空のような深い蒼の眼。白磁の肌まで同じ、しかし片方は淡く頬を色づかせているのに対し、向かいに腰掛けたもうひとりの顔色は、神経質そうに生白い。眼鏡の奥から無感動に見つめる相手を眺め、小さく微笑んだ身なりの良い青年は、どこか満足そうに切り出した。
「調子が良さそうだな」
「そうでしょうか」
淡々と、顔色の悪い片割れが応じる。その言葉が意外だったのか、青年は不思議そうに首を傾げた。
「気のせいかな。なんとなく機嫌が良いように見えた」
「……そうでしょうか」
片割れは変わらず無感動な返答を繰り返し――しかし、眼前の青年とそっくりな仕草で、小さく首を傾げた。今までに見られなかったその反応に、青年は蒼の眼をしばたたく。
「――ねえ」
「なんでしょう、アシュベル」
「……おまえ、本当に何かあったんじゃないのかい。話してごらんよ、アシュレイ」
名を呼ばれ、片割れが顔を上げる。眼鏡の奥から青年を見つめて、彼はしばし思案し――十数秒ほど経ってから、おもむろに頷いた。
「友人、が……できました」
Prologue: 6. Cuisine Conundrums
「へえ。そんなこと言われたの?」
とんとん、手際よく持参した食材を刻みながら、親愛なる野菜売りは眼を細めた。
酷い野菜スープを食した先日の午後、"俺の方が巧く作れるよ! 絶対だって!"とセドリックは豪語した。それを実際にやらせてみようと思うこと自体、アシュレイには珍しい発想だったのだが、とにもかくにも今日検事は友人を自宅へ招き、彼がざくざくと野菜を解体するのを眺めていた――らしくなく、雑談までしながら。
「ああ、なんだか変な顔をしていたらしい」
「変って、ふふふ。――そもそも、お兄さんいたんだな。そっちがびっくり」
「そうか」
「ブライトン、あんまり表情変わらないのに。見抜くなんて、さすがは兄弟だなー」
そんな言葉とともに、さくり、さくり、小気味いい音。セドリックの手にしたナイフの下で彼の持ち込んだ食材が刻まれ、見る間に鍋の中へ飛び込んでいく。その瑞々しさは、日頃市場で目にするどの野菜にも優りそうだ。朝靄と濡れた土を鮮やかに描き出すその香りに、アシュレイは目を細めた。調理もされていない食べ物に、斯様な感慨を覚えるのも久しぶりだ。
鼻歌交じりに、セドリックは食材をまな板から鍋へ移す。にんにく、にんじん、じゃがいも、たまねぎ、キャベツと続き、最後に真っ赤なトマトが、果汁を滴らせながら四つに割られた。もう少し包丁を研いでおけばよかったと、薄皮で苦心する友人を眺めて思う。
「大丈夫そうか」
「ん、――えいっ、と……大丈夫。ブライトン、あんまり料理しない?」
「しないことはないが、このように手のこんだものは作らないな」
そもそも自宅で摂るのは朝食と夕食のみだ。朝はどうも食欲がわかず、夜は面倒で軽く済ませることが多い。どのみち昼は外食、必然的に重い食べ物が多くなる。それで、どういうわけか必要なだけの食事はまかなえているようで、簡単な料理以上のものを作ろうとも思わなかった。学生時代、目をかけてくれた寮監に教わって、しばしば焼いた気に入りの菓子さえも、卒業以来もう数年は作っていない。
一方、眼前の友人はトマトのざく切りを鍋へ入れ、ゆっくりと掻き回していた。塩、胡椒、言われるままに調味料の瓶を差し出せば、さっと彼はそれを眺めただけで、ひょいひょいとスープの中に放り込む。スプーンも何も使わず、目分量だ。彼がおおらかな性格と言うことももちろんあるのだろうが、明らかに手慣れている。
「サージェントは、日頃から台所に立つのだな。珍しい」
推測を唇に乗せると、セドリックは淡く微笑み、のんびりと刻みバジルを料理に加えた。
「そう? うちには使用人も家族もいないし、俺まだ独り身だし。こんなものだと思うよ」
「その条件なら、私も同じだ」
「んんん、そうだった。――ブライトン、もしかして昼も夜も外で食べるの?」
「いや、昼だけだ」
「えっ、朝と夜抜き?」
「まさか」
そんな風に見えるか、と軽く睨んでみせれば、友人はぺろっと舌を出して視線を逸らした。
「作ってないって言ってたし――朝食べてなさそうだし」
「簡単なものくらいは作る」
「お。たとえば?」
「ゆで卵」
「だけ?」
「む。トーストとか」
真顔で応えれば、彼は呆れたようにため息をひとつ。小皿にすくったスープを差し出され、アシュレイは知らず知らずその滑らかな赤い水面をじっと見つめた。
「ブライトン、もっと食べなきゃだよ。それもあったかいもの、バランスの良いもの。出来るなら、誰かと一緒に。その方がおいしいし」
「そんなものか。どうせ食事なのだから、腹が満ちれば同じだろう」
「されど食事だろ、もう。そんな無頓着じゃだめだめ――なに、ブライトンってまさか味オンチなの」
「失敬な。ものの良し悪しくらいはわかるぞ」
「じゃあもっと気にしようよ。食は基本なんだからさぁ」
理解出来ないとばかり、セドリックは首をふりふり調理に戻る。小言を聞きながら口にしたスープは、じんわりと身体に染み通るような味がした。
* * *
セドリックの叩いた大口は、単なる大風呂敷では終わらなかった。完成した野菜スープに、たまごサラダのサンドイッチを添えた昼食は、日頃食べるどんなものより美味で、アシュレイはいつも以上の量を黙々と平らげた。
「そんなに気に入ったの」
二杯目のスープをよそってくれながら、セドリックが笑う。大食いと言われたようで、つい頬を赤らめながらアシュレイは頷いた。
「旨いよ。これだけ上手なら、先日のあれはつらかったに違いない」
「へっへへ、まぁなー。よかったよ、気に入ってくれて」
ことん、と目の前に置かれた皿を見つめて、アシュレイはまたスプーンを取りあげる。大きめに切られたにんじんを掬えば、水面がとろりと柔らかく揺れた。その鮮やかな色は、サンドイッチを半分とスープを一杯平らげたあとだというのに、やたらと食欲をそそる。早速口に入れれば、根菜の甘さとトマトの酸味が絶妙に口内を満たした。最後に加えていたベーコンのコクが後を引く――これだけはいつもと変わらないものなのに、彼の手にかかればこれほどに味を引き出されるものか。不思議で仕方なく、知らず知らず眼前のスープをじっと見つめる。
「……どうかした?」
声をかけられ、我に返る。ほんの少し不安げな顔をした友人が、じっと顔を覗き込んでいた。
「何か、変だった?」
「いや、まったく。本当に巧いなと、思っただけだ……ぜひ一度教えてほしいものだな、その料理の秘訣を――」
――否、本当のところは、秘訣も何もないのかもしれない。友人に微笑みかけたその瞬間、ミネストローネの後味がさらに旨みを増したような気がして、アシュレイは目をしばたたく。もしかしてこの味は、良質な材料と腕のいい調理師よりも、もっともっと別の理由が――そう感じるのは、先程友人に言われた小言のせいか。
スープから視線をあげて、セドリックを見る。今日アシュレイのために昼食を作ってくれた男は、同じくおかわりしたスープを食べながら、じっとこちらを気にして眺めていた。急に口をつぐんだからか、「なに、何かほしいの、お水、それとも塩」などと言い、友人はこちらを気にしてぱたぱたと世話を焼く。親かと言いたくなるその仕草に、あたたかな食べ物で満たされた胃袋が、さらにほわんと温もった気がして。
「なんでもないよ。――ふふふ、やはり貴方は正しいな、サージェント」
思えば、ずっと食事はひとりでしていたのだった。一緒に食べる相手も、ましてやこうして一緒に台所に立つ者など、いなかった。あたたかいものが良い、バランス良く摂る方が良い、そんなことを小うるさく口にしながら、自分のために食事を用意してくれる相手など。
なんだか納得して頬を緩ませ、再びスープに手をつける。しゃきしゃきと歯切れの良い食感を味わいながらテーブルの向こうを眺めれば、ほんのりと顔を赤くした友人がやたらとサンドイッチを口に押し込んでいて、少し笑った。