やわらかなしあわせ
「ふふふ、アッシュ最近さ、さわりごこちいい」
とくとくと、その肌の向こうで加速する音。あたたかな胸元に頬を寄せ、するすると手のひらで腰辺りを撫でながらそんなことを言えば、恋人は照れたようにそらしていた眼差しをすいとこちらへ向けた。
「触り心地」
「ん、なんかね、こう、やわらかい」
「……太った、と?」
「まあ間違ってはないけど」
「……寝るぞ」
「わあ待って! そんな意味じゃない、ちがうって」
ぷぅ、とふくれたアシュレイに手のひらを追いやられ、慌ててセドリックは弁解する。しかし不満げな顔を崩さず、恋人は両の手を伸ばしたかと思うと、頬をうりうりと引き伸ばしてきた。
「ならどういう意味だと? 確かに僕は女性じゃないが、太ったと言われていい気はしないな」
「い、いひゃい、あっひゅ」
「あなたこそ最近頬辺りがまるいくせに」
「うほぉ!?」
「本当」
「ひょ、……ね、はあひて、いひゃい」
「む」
崩れた発音で訴えれば、ようやく華奢な指先が頬から離れていく。その細い腕も、以前ほどごつごつして見えなくて、どこか安心した。愛おしくなって、柔らかく浮き出た手首の骨の丸みにくちづけをひとつ。
「んー……だってアッシュ、前はすごく痩せてたからさ。ちょっと心配だったよ」
「すごくと言うほどでは」
「そう? でもこれくらいがちょうどいいと思う」
薄氷の上に佇むような、どこか危うい怜悧さ。かつて彼が纏っていた斯様な雰囲気は、その体格のせいもあったのだろうと、今にして思う。あの夜、初めて直に抱きしめたアシュレイの身体はかたくて、皮一枚隔ててそこにはすぐ骨がと錯覚するほど、無駄な肉がなかった。そう言えば聞こえはいいだろうが、筋肉も贅肉もなくただ痩せているだけというのは、嫌でも一抹の不安を覚えたものだ。
「アッシュ、あんまり食べなかったし」
「食べていたさ、必要なだけ」
「最低限?」
「……やけにつっかかるな?」
「んふふ、そうかも。心配だった」
改めて、はだけたシャツの胸元に頬を寄せる。裾から差し入れた手で腰辺りを撫でれば、やはり骨に沿った肌は滑らかな柔らかさを帯びていた。鋭角な骨格の形ほぼそのままのような感触は、もう遠く記憶の中にだけ。
「でも今は程々にやらかいから安心ー」
「……最近食べ過ぎか。控えるかな」
「えっ別に。このままがいい、腰やらアバラやら骨ういてるアッシュはやだ」
「や……」
やだ、という言葉に反応してか、ぴしりとアシュレイは硬直する。それを良いことに、するするとシャツの前をあけ、白い肌に寄り添った。この体温だって、あの頃よりどれほどあたたかくなったかしれない。触れた指先が冷え切っていてぎょっとすることも、比べればかなり減った。
「――ちょ、セド」
「だってアッシュ、最近元気だしさ、顔色もいいしさ、前より身体もあったまってるし、肌もすべすべになってるし。絶対食べる量足りてなかったんだって。これくらいがいいんだよ」
「顔色なんかはともかく……何でそんなことまで判るんだ」
「なんでって。これだけさわってればわかるもん、んふふ」
ほんの僅か肉付きがよくなってなお、彼の身体は細い。すっぽりと腕に収まる腰を抱き寄せて、滑らかな肌にたくさんのキスを降らせれば、アシュレイはまた赤くなって視線を逸らす。淡く色づいたその横顔も、頬骨の丸みからふっくらとなだらかな弧を描いていた。出会った頃も、手を取り合ったあの夜も、恋人はうつくしかった。だが今は、もっともっと。
「ねぇ、アッシュ」
「…………ん」
「俺さ、アッシュが元気でいるのが一番うれしいよ」
そっと彼の胸に残る傷跡にくちづけながら呟けば、しばしの沈黙の後、華奢な指先がやわらかく髪に触れた。ふわふわ、もふもふ、繊細な仕草で撫でて、きゅっと抱き寄せられる。
「……元気」
「うん。よく食べて、よく勉強して、よく動いて、よく寝る」
「……まあ、できてる」
「だろ? だからこのまんまで。あったかいし、やわらかくてきもちいし。太ってないよ、だいじょうぶ」
彼の鼓動を聴きながら、子供を諭すように言い聞かせる。すると返事の代わりか、軽いキスがつむじに降ってきて、セドリックはにんまりとした。どうやら恋人は機嫌を直してくれたらしい、よかった。
さて、そうとなればひとつだけ、訊いておきたいことがある。
「――で、アッシュ」
いたずらに目を細めて、魔導師は顔を上げる。その視線に恋人が身をひくより早く、その胸元を甘噛みした。いきなりのことに甘い声があがるのもお構いなし、蕩けていく愛しい彼に、いざ追及開始。
「話さ、もどるけど。俺のほっぺが最近まるいって、なに?」
もふもふ、ふわふわ
(かわったことは、よいこと?)