Trick or Treat?
細い手がたわしを握って、一心にオーブンの天板を擦る。単純な作業なのに恋人のまなざしは真剣で、セドリックはつい喉の奥からくつくつと笑いをこぼした。
「どうだった、収穫祭」
「ふむ、面白かった。僕の故郷でも似たような風習があったよ、こどもにおやつをやるところまでそっくりだ」
「ほんとに?」
「ハロウィンと言ってな。仮装したこども等が街を練り歩くんだ、Trick or treatと言いながら」
泡まみれの天板を桶の水で流して、アシュレイは布巾をとる。水気を拭われた鉄の板には、菓子くずの名残もない。
「……それ、ほんとにいたずらされちゃうの」
「まさか。常套句だ、当然おとなたちは菓子を準備してあるのさ」
余りのショートブレッドを眺めるアシュレイの眼差しは優しい。今日の昼、芋栗カボチャをぶらさげたこどもたちがわいわいと訪れたときも、恋人はあんな笑顔で彼らに菓子を手渡していた。ひょっとして、アシュレイも故郷を恋しく想うことがあるのだろうか。セレスティアはイングランドより自由だと、もう帰ることはないだろうと、問う度にかぶりを振る彼だけど。
かたんと椅子を鳴らして、セドリックは席を立つ。布巾を置いたアシュレイに、背中からもふもふと抱きついた。
「えへへ」
「む、セド?」
「Trick and treat、アッシュ」
「なにを言い出すのだ、もう」
「ねー、ちょーだーい」
「こどもか、あなたは」
呆れたような笑い声が腕の中であがる。かまわずセドリックは銀の髪に頬ずりした。弱音を吐かない彼だから、こんなときくらい甘えてほしい。とは言っても、これではどちらが甘えているのか、定かではないが。
やれやれと息をついたアシュレイが、余りの菓子に手を伸ばす。気がつくとショートブレッドが口に押し込まれていて、セドリックはいきなりのことにもごもごと抗議した。
「んむー」
「それで満足してくれ、僕の持ち合わせはこの程度だからな」
かぷり、鼻先を前歯でかじられる。常はまじめな恋人のらしくない悪戯に、セドリックは目をぱちぱちとさせた。
口の中のショートブレッドを咀嚼することも忘れて、セドリックは恋人を見つめる。するりと身を引いた彼は、こどものような悪戯っぽい色を眼に湛えていた。
「それと。ハロウィンの決まり文句はTrick "or" treatだぞ、魔導師殿」
「――あッ!」
お菓子といたずら
("and" じゃ、両方じゃん!)