take my hand.

「僕ではだめかな」

 静かな、しかし訴えるような声の響きに、チェリッシュは同僚を振り返った。いつもと変わらないポーカーフェイス。狂気の薬師マッド・アポシケリー、海の星。なんと呼ばれても動じないはずの彼、しかし袖口から見えるその手は、拳が白くなるほど握りしめられて、震えていた。
 あのときとは大違い。なんだかおかしくなって、チェリッシュは小さく笑いを零す。僕は薬師だ、剣士じゃない――そう言いながらも、ウィルバーはぎりぎりの状況を、まさにその剣で打破してみせたのに。子供の頃に抱いた夢を諦めきれず、無駄と知りながら続けていた訓練を、あのようなかたちで見事に実らせたのに。研究室に隠れて目立たなくとも、彼はその実、騎士団の誰にも負けないほど勇敢だ。それなのに、そのたった一言を口にするだけで、少年のように怯えてしまうだなんて。
 
「――"だめかな"、なの?」

 ほんの少しいじわるをしたくなって、チェリッシュは口を開いた。彼のかけた眼鏡の奥、海色の瞳が不安を隠しきれずに揺れる。
 
「……どういうこと?」
「あなた、気づいていないのね。あなたを見上げるひとは大勢いる。同じ言葉を投げかけたら、首を縦に振る女性なんて星の数ほどいるわ」
「……きみは?」

 喉をつまらせたように、掠れた声でウィルバーは呟く。
 
「きみが頷いてくれないと――ほかの誰かじゃ、僕には意味がないのに」
「……そこまで言えるのに、"だめかな"、なの。おもしろいわね、ウィルバー」

 薬学魔術の鬼教官、此度の内戦の英雄のひとりとしてウィルバーを知る部下たちは、きっとひっくり返ることだろう。くすくす笑いながら、チェリッシュは彼の手を取る。一瞬戸惑うように動きを止めた後、強く握り返してくる指先は、冷え性のチェリッシュよりも強ばってひやりとしていた。
 
「……きっと僕は、恋をしたらめちゃくちゃな奴になる」
「そうなの?」
「現になってる。きみにだから、簡単な一言も言えやしない。理路整然と正当性を主張することは得意なのに、きみにかかると"だめかな"しか出てこないんだ」

 痛いほどチェリッシュの手を握りしめて、低い声で同僚は吐露した。軽くとられた指先を動かすと、ようやく気づいたように彼は力を緩める。ひとつ空気の塊を吐き出して、ウィルバーはそっとチェリッシュの手のひらを握り直した。
 
「きみのそばにいたいんだ、これからずっと。チェリッシュ、きみさえよければ。……僕を選んで、ほしい」

 月が雲の影から現れる。背の高い彼の顔は、逆光でよく見えない。しかしランプのほのかな明かりのおかげで、耳の先が赤くなっているのは見て取れた。ウィルバーのがさついた手を包み込んで、チェリッシュは微笑む。なんだかんだで、薬で荒れたささくれのひとつひとつも、薬師にしては変な位置にあるたこも、もう慣れて――いっそ気に入っていたくらいだ。
 答えを口にしようと、チェリッシュは口を開く。和平を祝う花火が彼の背後で咲いて、ようやく笑ったウィルバーの顔を明るく照らした。

この手をとって

(そしてとったなら、けして離さないでいて)

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